【後悔の無い人生】幸せに生きるためのヒント
一度きりの人生、幸せに後悔無く生きたいですよね。そもそも生きる意味って何でしょうか。それを掘り下げることで、これからの人生を後悔無く幸せに生きるためのヒントが見つかるかもしれません。
本記事では、後悔の無い人生を送るためにどんな考え方や行動が大切であるかを取り上げたいと思います。
本文を記載するに当たり、下記の書籍を参考にしました。
【参考文献】
長南瑞生「生きる意味 109 後悔のない人生のための世界の偉人、天才、普通人からのメッセージ」1万年堂出版、2014年
本記事には、宗教色(仏教)のある内容も含まれております。私は無神論者にため、特定の宗教への信仰はありません。仏教の信仰を勧める意図も他の宗教を否定する意図もありません。
純粋に、「後悔無く幸せに生きるため」の考え方をお伝えします。
予めご了承ください。
本記事の構成はまず私が本書から感じ取った要点を下記に記載し、その後に詳細を書くことにしました。
【要点】
・相対の幸福(富、名誉、地位など)を追い求めてもキリがなく満足出来ない
・相対の幸福は死を目前とした時に総崩れする(死後には持っていけない)
・相対の幸福ばかりを追い求めると死を目前とした時に後悔する
・幸せには二種類あり、相対の幸福と絶対の幸福がある
・絶対の幸福とは、無碍の一道であると仏教の名著「歎異抄」に記されている
・何よりも先に、死の問題を解決することによって絶対の幸福に至る
・死の問題を解決の糸口は、「今すぐ」仏法を聞くこと
1.相対の幸福ではいつまでたっても満足出来ない
相対の幸福とは「比べて分かる幸福、比べなければ分からない幸福」と著者は述べています。年収、財産、社会的地位、名誉、偏差値、試験の点数などです。
これらの要素は幸せに感じるポイントであることには間違いありません。
例えば、自分の年収1000万円だとします。
今の日本では十分高収入の部類ですよね。そして自分の年収の高さを周りと比較して満足し、幸福感を感じるはずです。
でも、同じ会社や同じ仲間内で年収1000万円どころかそれ以上の稼ぐ人が多くいたらどうでしょうか。きっと自分の年収に満足いかなくなるでしょう。
ある調査では年収800万円当たりをピークに、年収による幸福度の上昇ペースは落ちるとの結果が出ています。ある程度の生活レベルを確保出来ると、年収の上昇が幸福の増加に繋がらない事実を示していますね。
そして著者は、年収等の「相対の幸福の弱点は、どこまで求めてもキリがない」と述べています。
この広い世界、上に上がいるものであり、他者との比較ではいつまでたっても満足できません。
2.死を目前にした時、相対の幸福は総崩れになる
著書ではこう書かれています。
「今まで輝かしく見えた相対の幸福は、死の前に立つと、急に光を失って、色あせたものになってしまうのです。死ぬ時には何の意味もなかったと、ミケランジェロも松尾芭蕉も、ピカソも、みんな言っていたとおりです。」
多くの人々が目先の幸福としてお金や社会的地位、名誉を求めます。
でも、それらを追い求めて手にしたところで、死ぬ時には全てを手放して旅立たなければなりません。
一時の満足感や優越感は得られるとしても、「相対の幸福は見せかけの幸福」であると著書では記されています。
相対の幸福を求めてもキリがなく、満足できるものでないとしても生きる上では必要でしょう。
ただ、自分の最期には総崩れになることを自覚しておく必要があります。
では、後悔無く幸せな人生を送るにはどうしたらいいのでしょうか。
著書では次のように述べています。
「幸福にはもう一種類あり、それが『絶対の幸福』です。」
「仏教では、本当の生きる目的は、完成があり、死によっても崩れない大安心大満足の絶対の幸福になることだと説かれています」
3.絶対の幸福とは
「この絶対の幸福を、『歎異抄』には無碍の一道とも言われています」と著者は述べています。
「無碍」とは、さまたげ(碍)がないということです。
つまり「無碍の一道」とは自分の人生に妨げが無い状態のことを意味するのではないでしょうか。
自分の人生に妨げが無い状態で過ごすことを絶対の幸福と私は認識しました。
※異論反論等ございましたらコメント等でご指摘ください。
4.自分の人生に妨げが無い状態で過ごすためには
人生最大の問題である死の問題を先に解決することが「無碍の一道」に出られると著者は述べています。
そして、その問題を先に解決することで、他に生じる問題は些細なものとして考えることが出来るようになる=絶対の幸福に至るという主張なのだと思います。
5.最後に
「釈迦は、人間に生まれてきたのは、仏法を聞き絶対の幸福になるためだ、とこのように教えられています」と著書に記されています。
つまり、仏法を聞くことにより、絶対の幸福とは何であるかを知ることができ、幸せで後悔のない人生を送ることが出来るということであると私は認識しました。
本書では仏法の内容や絶対の幸福が何であるかまでは記載されていません。
正直、本書を読んでいて求める答えが見つからず、歯がゆい思いでした。
しかし、それだけ「絶対の幸福」とは一朝一夕で理解出来るものでは無いということなのだと思います。
少なくとも、富や名誉、社会的地位ばかりを追い求めていても幸福な人生にはならないこと、絶対の幸福を理解するには仏法を知る必要があることを学びました。
宗教に偏見を持たず、一つの学びとして仏法や『歎異抄』を読んでみようと思います。
また、その際には本ブログにて記載します。
最後までお読み頂きありがとうございました。