【韓国旅行の思い出】人の優しさに国籍や人種は関係無い
イスラム圏での民族紛争、アフガニスタンでの紛争、そして2022年現在のウクライナでの紛争と、常に世界のどこかで人と人との争いが発生しています。
その要因には、所属する国の方針での対立、宗教への考え方の対立、利権にまみれた組織同士の対立などがあるのでしょう。
でも、国籍や人種、信仰する宗教によって人間の本質って変わらないのではないでしょうか。
どこの国の人々も自分の子供や家族、地域社会を大切にして生活しているはずです。
私は「国家」と「その国家の人々」は分けて考えるべきであると思います。
「中国人は横柄な人が多い」「韓国人は理屈が通じない」などと他国の人を批判される方がいます。でも、それって直接会って体験した事でしょうか?
大抵の情報源はテレビやインターネット、SNSといった二次情報でしょう。
そしてそれらは無意識のうちに自分の考えにも影響を受けているものです。
国家による報道規制、インターネットへのアクセス規制、偏った教育によって、人は自分の所属する組織以外への偏見や差別、挙句の果てには紛争へと繋がってしまうのだと考えます。
前置きが長くなりましたが、本記事では私が韓国に行った時に体験した話を通して、「人の優しさに国籍や人種は関係無い」ことをお伝えしたいと思います。
1.電車内での出来事
空港から首都のソウルに向かう電車での出来事です。
ちなみ、電車の構造は東京の山手線のような座席が横並びで一直線のタイプです。
私の向かい側に50代位の男性が一人で座っていました。
次の駅で、婦人が5歳位の子供を連れて電車に入ってきました。
座った場所はその男性の隣で、男性-子供ー婦人といった並びで座りました。
その男性はすぐにその婦人と子供に何かを話しかけていました。
韓国語が分からない私には内容は理解出来ませんが、男性の穏やかな口調から世間話の一つでもしていたのだと思います。
しばらくして、男性が電車から降りる時、また婦人と子供に話しかけ、別れ際に子供の頭を優しく撫でました。
子供に対する優しさは日本も韓国も変わらないのだとその時感じました。
2.国立民族博物館での出来事
旅行の合間に一人で国立民族博物館に行ってきました。
韓国にはどんな文化があり、どんな暮らしをしてきたのか興味があったからです。
入館して受付を終えた後に、日本語訳のパンフレットを探していた時に、60過ぎの男性が日本語で私に話しかけてきました。
おそらく博物館の職員かボランティアの方でしょう。
「おひとりでここに来たのですか」と問われ、上記の理由で来た旨をお伝えしました。
男性は本当に嬉しそうな反応をし、博物館内の展示物を一緒回り一つ一つ日本語で説明してくれました。
展示物の一つに、数人の大人の女性がキムチを作っている様子のジオラマがあり、その背景を聞きました。
昔は、各家庭でキムチを自作することが普通だったようです。
そして、キムチ作りの際には村の人が協力し各家庭を回り皆でキムチ作りをしていたようです。
地域社会での絆を大切にしている様子がよく分かりました。
展示物の案内が一通り終わり、男性との別れ際に握手をしました。
その時、男性は次のように言ってくれました。
「案内が出来て本当に嬉しかった。今度あなたが韓国に来られる時には私はもう(この世に)いないかもしれない。それでも、私はあなたのように韓国の文化を理解しようとしてくれる人が増えることを願っています」
日本には日本の誇れる文化があるように、外国でも同じように大切にしてる文化があります。それを相互に理解することで、お互いが尊重し合い、偏見や争いは無くなっていくのではないかと感じました。
3.最後に
私が大学時代に韓国からの留学生と関わりがありました。「竹島の領土問題」には独自の考えがあり、そこは踏み込みませんが、人としての優しさや気遣い、協調性などの本質的な部分は日本人と全く変わりは無いと学生当時感じました。
韓国旅行での体験も加わり、私は「人の優しさに国籍や人種は関係無い」という考えに至りました。
ただ、これは私の実体験を通した一次情報ではあるにしても母数が少なく信用に足るのかという批判には対抗が難しいでしょう。
その考えをより確かなものにするために、色んな国を旅してその国の文化や考え方を知りたいと思います。
2022年現在、コロナウイルスで海外渡航が規制され残念ですが、徐々に規制も解けつつあります。感染が落ち着き気軽に海外に行ける日が待ち遠しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。